自分の足がしびれすぎることによって経行の理解が深まった
成瀬東雲寺坐禅会参禅の日記です.
夏真っ盛りという感じで, セミの声が鳴り響くお寺の境内. 夏っぽい!私の場合, 自転車でお寺まで向かうので到着で若干暑さにやられる. 早朝坐禅会でよかった, 日中の猛暑の移動ならば途中で成仏していただろう.
身体が固いからぼくは結跏趺坐は無理だと諦めたらいつになってもできない
坐禅会では結跏趺坐をしよう!という発心のもと慣れない結跏趺坐に取り組むこと半年, 最近はようやく股関節が柔らかくなってきたのか, 結跏趺坐ができるようになってきたかもしれない.
わたしは身体が固いから結跏趺坐はムリだなとずっと思ってきたものの, そもそも決意してちょっと頑張らないと, 素で結跏趺坐ができるようにはならない気がした. そして, いったんできるようになると, たしかに半跏趺坐よりも安定している気がした.
足がしびれすぎたあとの経行
と, ここで本日トラブル発生だ.
前半の坐禅のあと, 立ち上がると足がしびれすぎた. さらにわたしは小学生のころから朝は貧血気味で朝礼でぶっ倒れる系の人間なので, 立ちくらみも伴った.
すると, ここで経行における一息半歩の極意を悟った. 半歩ずつ, ちょっとずつ歩くとというのは, もはや足がしびれすぎて, 全集中の呼吸をしながら, 倒れないように恐る恐る歩くのだ.
ただ今日は特別にしびれたのだが, 普段はもう少し足のしびれはないので普通に歩ける. 今日は結跏趺坐の組み方がたまたま悪かったのだろうか, それとも朝から自転車をかっ飛ばして坐禅会に参加したので血流がいつもより多かったのだろうか. まだ経験が浅いのでなんともいえない.
正直なところ, 一息半歩をすることに対して疑問をずっと抱いていた. 坐禅会でみんなで経行を行うと, ときどき渋滞が起こる. ある人がゆっくり歩きすぎて, その結果後ろの人たちが歩けなくる. 「もっと早く歩いてくれないなあ」と思うこともあった. 今日はたまたますごく足がしびれて, そのしびれは経行の時間の半分くらいまで続いた. おそるおそるしか歩けなかった. みんなで坐禅会をすれば, そういう人は数人いてもおかしくない.
自分の足がしびれすぎることによって経行の理解が深まった気がした.
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