瀧見観音堂接心に参加して長時間坐禅に初挑戦した!
前々から気になっていた、瀧見観音堂の坐禅会に途中から参加して六炷をすわってみた. 1
長時間座ることでぼくは座れないというメンタルブロックを解除する
数ヶ月前、仏教のアレの道宣さん遊心さんが開いている、プチ摂心に参加してそのとき初めて四炷座った. この体験は、普段の1時間の坐禅会とはまた違う刺激があった.
そのとき、瀧見観音堂の接心もしったのだが、ななんと、実家の大泉の近所っぽかった. そして、前日に自転車で町田から実家の大泉に泊まり、本日参加. 家からチャリで25分、隣の隣の駅!素晴らしいじゃないか!なお、帰宅は町田までチャリで2時間かかります.
接心は朝4時からなので途中参加. 瀧見観音堂に朝9時の10分前に到着して、9時になるのを表で待っていた. 瀧見観音堂、境内は緑が生い茂り、素晴らしい、が夏なので蚊の餌食になった. これから坐禅をするのに蚊を殺生するなんてできない!という複雑な気持ちのなかクネクネすること10分、中から道宣さんがヌンと現れた. 助かった!
本日の目標は、六炷という、今までで一番長時間の坐禅をすること. プチ摂心でも思ったが、初めは長時間だと思っても、いざ座ってしまうといけてしまう. そのメンタルブロックを外したい. 結局、別に坐禅でなくても、普段もパソコンとかしながら1日6時間以上座っていることはたくさんある. なにもせずに6時間ずっと座るということが、できないわけがないんだ.
永平寺一日参籠台風中止からの1年後に接心参加が感慨深い
座りながら、1年前の永平寺一日参籠体験の中止を思い出した.
Dandieat | 永平寺一日参籠体験が台風で中止になり苦集滅道も修証一等もなにも理解してないことに気づいて反省した
そもそも、仏教のアレYoutubeチャンネル2の過去動画をほぼ全部見たきっかけは、永平寺一日参籠体験のための準備だったことを思い出した. 参籠体験にむけて曹洞宗や坐禅、そして仏教の基礎は1ヶ月で頭に全部叩き込むんだ!という期末試験の学生なみのテンションで仏アレ過去動画をあさり、そして台風によりノックアウト.
結局、その2週間後、つまり1年前の今頃、衝動的に深夜バスに乗り込んで永平寺にいって、1時間の当日申し込みの坐禅体験はした. しかし、ここの感動ポイントは、そんな1年後に、道宣さんの開く坐禅会に!しかも実家の近所で!参加している!これは物語があり感慨深い
接心システムをポモドーロテクニックのようにサイクルを刻む
三炷座ったら、いったん1時間の休憩があった.
まず体験をシェアしたことは、普段の1時間の坐禅会と接心の心構えの違い. どうも今日はも丸1日座るんだとおもうと、余裕があるというか、逆に油断してしまうというか、初めから全集中を目指す気合が普段と違う. これに対して、なんたか短距離走と長距離走みたいですねという比喩をいわれて、なるほどと思った.
ポモドーロテクニックの話題が出たのがおもしろかった3. わたしは10年以上のポモドーロテクニックのファンだ. わたしは常々、坐禅と経行のサイクルを繰り返すことでリズムを作りながら長時間坐禅するようなシステムが、ポモドーロテクニックだと思っていた. 接心にしろ机に向かうことにしろ、リズムがあればより長くいける、ここには深堀りしたらおもしろいテーマがある気がする.
いろいろポモドーロを実験しているが、丸一日机に向かって、それを何日も継続しようとすると、だいたい平均は1日14ポモ程度というところで落ち着いている. これだと7時間程度だ. しかし、集中力がない状態で、もっといえば寝落ちしてしまったら意味がない. 継続的に集中を保つならば14ポモ.
さらに、最近は夕方からのだらける時間でポモテクニックをつかっている. 午前中は時間を気にせず集中力が途切れるまで休まず取り組むスタイル. さらに午前中はひたすら水をガブ飲みしてコーヒーは集中力が途切れがちな11時以降で、切り札として投入する. 朝からコーヒーを投入しない. すると午後2時くらいまでいけるので、そのあたりでバテたら休憩して食事、仮眠、坐禅をする. そのあと、ポモドーロテクニックにする. ポモドーロテクニックは認知疲労状態でも継続するための手段だ.
ただ、ポモドーロデスクワークの場合、サイクルを重ねると認知疲労が蓄積して頭が鈍くなっていくが、坐禅の場合は明晰になっていく感覚がある
瞑想トランスはサイクルを重ねると深まり気づきの念彼観音力が高速でキマリつづける
継続し続けるというところでは、サイクルを刻むということは有用だ. しかし、何炷も連続していく接心だと、サイクルを重ねるたびに瞑想トランスに入りやすくなるような気がする.
昨日の体験だと、1炷目はあっという間に終わり、2炷目は足の痛みで気が散る. 3から6は雑念が出たりまた消えたりを繰り替えす. どんなに炷を重ねても、雑念が消え失せて再び生じないということはなく、いったん滅尽し尽した!と思っても数分でまた再び雲に被われる. ただ、瞑想が深まると、雑念が沸いたことに対して、気づきの発動がより早く刺さる感覚がある. 雑念に対して気づきが発動するかどうかは、もう観音様たより念彼観音力なのだが、気づきの発動がより素早くなる. そして、そのあとの雑念が沸かない状態も長くなる.
これが3炷目からの状態で、これがサイクルを重ねるとどんどん深まっていく. これはおもしろい発見だ. しかし一方で、坐禅は特殊なトランス状態だが、じゃあ日常生活でも気づきの発動を応用できるのか?というとわからない. まだ勉強中. しかしながら、刺激を受けるという点ではイベントに参加することはとてもよいことだ.
長時間瞑想のあとのアフターバーンがある気がする
たぶん今まで長時間の瞑想をしたのは4回なので経験は浅いが、4回とも感じることは、瞑想会のあと数時間はずっと雑念が沸かずにあたまがすっきりし続ける状態がある. これは何度も経験するので、なにかあるのかもしれない. 有酸素運動をするとそのあともカロリー消費が1日中継続するような、アフターバーンのようだ.
しかし、こういう気分になるのは、長時間の瞑想をしないとならない. たとえば4時間の瞑想でこういう状態が1日を通して継続するならば、朝2時間はどうなのだろうか?また練習すれば4時間は3時間や2時間に短縮できるのだろうか? 日常生活では頭の中がゴミカスなので、ここも気になるところだし、もう少し朝の坐禅に力を入れてみようかとも思う. いずれにしろ、このイベントは刺激を受けた.
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