地震が起きた坐禅会で平常心是道を観察した(町田宗保院坐禅会5回目)
最近, 町田駅の近くの曹洞宗のお寺「宗保院」の坐禅会に定期的に参加してる. 継続的に通えるかわからなかったが, 本日の参加で5回目なのでだんだん様子がわかってきた. 毎回参加するたびに学びがあるので, 今回から感想を書いていきたい. 坐禅会というと, なんだかネットで情報もなくてよくわからない怪しい雰囲気があるので, 雑な人間が雑な感想を書いていきたい, よろしくお願いします.
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若い女性たちに心を奪われる猿で愚かな自分に気づく
今日は, 初参加の人たちに若い女性が2人いた. 初参加の人は和尚さんからガイダンスを隅の方で受ける. これは気のせいだとは思うが, 和尚さんはいつも以上に丁寧に坐禅のいろはを説明していた気がした. わたしが初参加したときは, 17時直前に到着したということもあったが3分くらいのあっという間の説明だった.
心の中で愚かな自分が「すけべぼうずすけべぼうず」と唱え始めてそれを仏の自分が「そんなこと考えちゃダメだよ!」という漫才が10回くらい頭の中でぐるぐるした. 坐禅がはじまると木の棒で叩かれるのだが, 女性にはやさしい強さ, わたしなどは叩かれたあとちょっとヒリヒリするレベル. いろいろ雑念が湧くものの, 次第に坐禅でおさまっていった.
お寺の坐禅会の静けさよる楽をif-thenプランニングに捉えて手放す
最近のわたしの悩みは, ボロアパートの隣の人のヒドい騒音問題. 朝7時前に洗濯機の音と料理の音とテレビの音の3連コンボでボロい家が物理的に揺れて目が醒める. 耳栓やノイズキャンセリングヘッドホンだと物理振動による騒音が防げないのがツライ. これで目覚めてしまうと朝起きた瞬間から怒りが無限に沸騰してくる. 今日もいつものように洗濯機の振動と包丁をまな板に叩きつける音で目が覚めた.
坐禅会に参加する前に自宅で数時間過ごしたが, テレビや室内音楽の音がうるさくてノイローゼな状態だ. ただ, これから坐禅会に向かうことを予定しているせいか, もうこの騒音に耐える状態からが坐禅だと思うようにして, 怒りを観察しながら過ごした. 最近, 隣の人にイライラすると, 表の廊下をほうきで履くことにしている. 隣の人はうるさいものの, そもそも壁が薄すぎることが問題で, イライラはなにも解決しない. 廊下を掃除すると怒りが収まる, 不思議だ.
そんな感じなので, 坐禅会に参加したときは音によるストレスで頭がメチャクチャな状態で到着. 坐禅会は静かだ. ただ, この静かな状態を「ああお寺ってよいなあ」と安楽を感じる愚かな自分があまりにも容易に想像できるので, if-thenプランニングを事前に仕掛ることにいつもしている. つまり「もしお寺の静けさに楽を感じたら楽に気づく」. こんな初歩的な静けさの誘惑にとらわれる愚か者ではない.
怒りや不安が生じる瞬間をジャーナに落ちた状態で捉えることができた
1回目の坐禅の終わりを告げる鐘が鳴りそうでならない. わたしのすぐ後ろに鐘があり和尚さんが鳴らそうと構えるがならない. すると, それに対して, 静かな心の動揺を捉えた. 数十分の座禅でいい感じにジャーナに入っていたのだが, 鐘がなるかならないかに対して, 静かな心から言葉ではないストレスが静かに湧き上がる様を, 言語ではなく観察できた気がした.
これは, ある意味新鮮だった. たぶん, やはり環境のせいか, いつもより心が落ちた状態で, そこから微かな感情の変化が湧き上がる様をスローモーションで観察することができた.
それは恐怖と不安が混じってるような感覚なのだ. 恐怖と不安はともにストレスというひとつの原因であるが, なぜそのようなストレスが身体に生じるのか?ということを観察しながら考えた. ただ和尚さんが背後に立っている, そこからなぜそのような微細なストレスが生じるのか?これは電気信号?生理的なホルモン反応?
本日の一番の学びは, この感覚をいつもより丁寧に観察できたこと. 本日のハイライト的な気付き.
静かなお寺の本堂とボロアパートは本質的に変わらない
2回目の坐禅では, 1回目の気づきをもとに, 不安や恐怖がストレスとしてどうやって生じるか?ということを観察することにした.
坐禅会のお寺は静かといっても, 感覚が微細になっていくと, いろんな音がきこえてきて, なにも静かではないことに気づく.
寺は築50年らしく軋む音がする, 築40年のボロアパートも至るところがきしみ生活音でうるさい, 同じだ! 寺はJR横浜線の線路のそばなので電車の音がよくきこえる. なんなら寺の床は揺れる. ボロアパートも誰かの料理や洗濯機の振動で床が揺れる, 同じだ!坐禅会は静かといっても, 隣の人の鼻息が聞こえる. ボロアパートは隣の人のいびきが聞こえる. 同じだ!
このように「同じだ!」という声が三回自分の心で響いた時, なんと地震が起きた. 寺が揺れる. ただ, 落ち着いた心は地震によって生じる不安の感情を丁寧に捉えることができた. これは1回目の坐禅の気付きを地震に応用できた. そして, このストレスと朝洗濯機で地震のように床が揺れることが同じだということに気づき「同じだ!」と唱え, その不快がひいていく様を丁寧に観察することができた.
瞑想の達人に大きな音をきかせながら脳波を測定する実験を思い出した. 瞑想の達人だって, 大きな音にはびっくりするし心は乱れる. ただ普通の人との違いは, 平常心に戻るスピードが速い. 1
平常心是道
本日の禅語は「平常心是道」. まさに平常心をテーマにしたもの. 和尚さんはこれに「平凡を丁寧に行うと非凡になる」というサブタイトルをつけた.
ただ, わたしは和尚さんの声と, ボロアパートのテレビから聞こえる音の違いについて考えていた. 和尚さんの法話は心地いいものの, じゃあなぜ隣の部屋から聞こえるテレビの音は不快なのか?そこになんの違いがあるのだろうか?もしわたしが日本語がわからなかったら, この和尚さんのありがたい法話はなんなんだろうか?
音とそれに対する反応の不思議さにめまいがした.
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