グンマー帝国大泉町サイクリングと黄檗宗宝林寺宿坊で独り接心修行
1泊2日で群馬県千代田町にある宿坊に接心修行 & サイクリング旅行に行ってきた.
群馬の禅寺に納税波羅蜜による仏道修行
ふるさと納税のために楽天ふるさと納税旅行しようか検討していた. どうせならば宿坊に布施をすることで、仏道修行と納税を同時にしたい.
天台宗総本山の比叡山延暦寺会館宿坊をはじめは検討したが、やはり一人では行くには費用が高すぎるので、近場?の群馬県にある禅寺、宝林寺で修行することにした. ただやはり、そもそも2人以上での宿泊を前提とするような価格設定なのか、一人だと割高. ボッチの辛さを感じた. まあ納税も兼ねているのでいいか.
day1
いきなりの雨天ロングライド
朝4時起床5時出発. なんと出発後3時間ずっと雨だった. 雨だとスマホで地図を確認することができないのでとても困った. とりあえず雨が止むまであまり地図をみずにひたすら北上した. 雨だと普段以上に交通量も多い、さらには通学時間とも重なる. いきなりの試練だった.
所沢くらいまでずっと辛かったが、そこからようやく雨も上がり、交通量も少なくなってきた. ただ、悪天候のためゆっくり進んでいたため、思ったよりも進捗が悪い. あとの5時間は寄り道もせずにひたすら走る.
神奈川県座間市からひらすら進み、直線距離90km越え. 大日本グンマー帝国大泉町に到着.
パラレルワールド異世界転生したような大泉町
大泉はいちど行ってみたい居場所だった. なぜならば、わたしも大泉で生まれ育った、東京都練馬区の. わたしの通った小学校は大泉南小、中学は大泉大二中. 住んでいた場所は東大泉. そんな大泉っ子のわたしにとって、群馬にも大泉があることが不思議でならなかった. もっといえば、そこはブラジル人とか、わけがわからなかった.
実際に大泉町について、いろんなところで大泉の文字を目にすると、なんだかパラレルワールドに迷い込んだ気分になった. わたしの知っている大泉は住宅街ばかりであり、役場とかなくて、ましてやポルトガル語の看板はない. 衝撃だ.
また、ブラジル移民があまり人ごとでないのは、わたしのひいおじいちゃんかひいひいおじいちゃんの弟は明治時代に日本からブラジルへ移民したそうだ. 歴史を感じる.
ただ、観光といっても2時間くらいしかなかったので、とりあえずブラジル料理店で食事をしてスーパーを物色. スーパーマーケットがびっくりした、並んでいる食材や商品がみたことないものばかりだった. 異世界転生だ. ガラナという謎のエナジードリンクを飲んだ. ソーダだな.
ブラジリアンスーパーに衝撃を受けた後、ジャパニーズスーパーベルクで羊羹を購入して、禅寺へ.
黄檗宗の禅寺に興味しんしん
この禅寺、黄檗宗というところに驚く. 事前にTemple Morning Radioをきいていたり、黄檗宗については勉強してからきた.1 ラジオのなかでも、黄檗宗の珍しさにラジオパーソナリティの松本紹圭さんが質問責めしていた. 全国でお寺の数は450くらい、僧侶も300人くらいらしい. 関東はさらにお寺の数は少ない.
黄檗宗スタイルは、もともと江戸時代は臨済宗黄檗派だったので、考え方やスタイルは臨済宗の看話禅. しかしそもそも私の坐禅スタイルは曹洞宗の黙照禅なので、臨済宗スタイルが初体験だ. ただそうはいっても、坐禅体験で公案うすることもないので、坐禅はいつも通りだった.
そのあと、黄檗宗に興味しんしん過ぎる仏教オタクなわたしは、若干質問攻めしてしまった.
看話禅 vs 黙照禅
公案スタイルの考えつづける動的な坐禅と、思考を止めていくような静的な坐禅とでは、坐禅の型としは同じものの、アタマの使い方は異なるのか?坐禅をしながら公案を考えつづけるということは、普段わたしがやっているような、思考が浮かんだらそれを受け流すというようなやり方とは真逆に思えた. むしろ坐禅中に思考を起動させる?しかし、その起動する内容が論理矛盾を含んでいてロジカルな転換をしたところで無意味というものが公案だ. わけがわからない.
これについては、答えが知りたかったというよりも、問題提起や驚きの共有ということで(重いテーマだし)、あとは自宅に帰って調べることにした. おもしろい軸だと思う.
禅浄双修という坐禅と念仏のあわせ行
明の時代の仏教は浄土思想と禅思想の融合が流行し、行においても南無阿弥陀仏と念仏を唱えつつ坐禅をしていた. 衝撃だ. ただ、これについて事前調査をネットでしたものの、日本語ネット情報だと、そもそも情報が少なかった. しかし、それをプラクティスとして引き継いでいるのが黄檗宗だ.
これについて、坐禅と念仏を交互にするのか?経行みたいに?と質問したところ、そんなことはなかんた. 坐禅は坐禅、念仏は念仏と、行としては時間帯は分かれている. ただ、作務、法要と同じような修行のひとつとして坐禅もあれば念仏もある.
唯心浄土 己身弥陀
しかし、黄檗宗独特の思想として、唯心浄土という禅語を教えてもらう. 極楽浄土は、自分自身の心の中にある. それに気づくのが修行.
似たような思想は、曹洞宗だと帰家穏坐, 身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏のかたよりおこなわれるがぱっと思い浮かんだが、黄檗宗だと心の中に浄土がある!とストレートに表現するのがおもしろい.
独り接心、できず
さて、坐禅体験のあとは、独りで宿坊に篭もって接心の予定だった. 目標は8炷. しかし、恥ずかしながら100キロのサイクリングによって、坐禅ところではなかった.
何度か坐禅を試みるものの激しい睡魔により、なんと夜8時には、意識を失って成仏した.
day2
深夜3時起床の仰天カーニバル坐禅
いきなり爆睡したことを公開して、深夜3時前に起床して、再び坐禅にチャレンジ. ただ、ここでも眠かったので、目を覚ますために、ブラジル音楽をきいて深夜のノリノリカーニバルで目を覚ました2.
そのあと、室内にはコーヒーセットが用意されていたので挑戦. なんと豆からコーヒーミルとドリップをつかって自分でつくるスタイル. こういうのに憧れていたけどやったことがなかったので、ワクワクしながらやってみたら、コーヒーを床にぶちまけて目が完全に覚醒した.
そんなこんなの独りドタバタ劇のあと、ようやく仰天坐禅を2炷.
梵唄による中国語の歌う読経音楽
朝のお勤めに参加. 黄檗宗のお勤めスタイルも梵唄という独特のスタイルを楽しみにしていた.
なにしろ、お経が中国語で節をつけるのだ. Youtubeで般若心経も中国語たったのでビックリした3. 実際に生のお経は、前半に日本スタイルだが、後半が中国語によるお経. もっとも日本の漢語読みでもお経はなにいっているのかわからないが.
独特の節回しだ、ただ歌うようにという表現だと、パーリ語のお勤めも負けてないように思った. しかし、黄檗宗の場合、楽器をドカチャカつかうところがすごい. 木魚(黄檗宗が全国展開!)、鐘、太鼓2つ、そして本式では最低6人で朝の勤行をするらしい. 賑やかだ.
しかし、本山にいかないと、フルバージョンの勤行はみれない. ぜひ萬福寺にもいきたくなった. なお京都は外国人観光客で近年たいへんなことになっているが、萬福寺はそこまで外国人がこないという、隠れ観光スポットらしい. さらに行きたくなった.
宿坊の禅的空間でなくてもアパートのミニマリスト生活は再現可能
宿坊の部屋は、壁を向いて接心するにはもったいなすぎるほどの空間だった. そして、独りでつかうにももったいな過ぎるほどだ. 結局接心をしようと思いつつ4炷しかできなかったのだが、代わりに仏教の書籍を読んだり、坐禅ではないがボーッとしたりした.
そして思ったことは、そもそも環境が調っていると、そこに存在するだけで心は調うということだ. ぐちゃぐちゃの部屋で目をつぶって坐禅をする前に、まずは部屋の片付けをすべきだということを改めて思った.
さらにいえば、禅的生活とミニマリスト生活は似たようなところがある. お寺だからこういう空間が特別なんだというのは偏見で、うちのような家賃月23000円のボロアパートでも、ミニマリストの質素な生活は実現可能. そればあまりお金がかからない.
なにしろ今回の宿坊は贅沢すぎるほどの空間だったが、うちのボロアパートでもこれは再現可能な体験だ. 帰宅したら部屋を片付けようと思った.
利根川荒川入間川サイクリングロードを経由して関東横断帰宅
再び自転車で帰宅. 行きは寄り道せずに北上したが、帰りはいろいろなサイクリングロードを経由した.
- 利根川サイクリングロード
- 見沼代用水路 緑のヘルシーロード
- 荒川サイクリングロード
- 森林公園サイクリングロード
- 入間川サイクリングロード
サイクリングロードは信号ないからブレーキをあまりつかわずに進めるのがよい. 天気は曇りだったけど、平日だったからほぼほかのサイクリストすらいなかった. 埼玉の北の方はサイリグングスポット多数だ.
ただし、入間市あたりで17時だったので、そこからは車がガンガン走る大通り優先のコースでストレスブクな帰宅. 大通りは車のスピードも速いから怖い.
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