全集中の呼吸十六ノ型でHSP極めます!—アーナパーナサティ瞑想リトリート体験記

2025年の3/16-20でアーナパーナサティ瞑想リトリートに参加した感想です。

http://houkiraku.com/pg498.html

3/15: Day1

朝8時半に家を出るものの、新宿に到着して小田急線の網棚に坐布を忘れる. 10時に新宿駅で「登戸の忘れ物相談所で確保しました」と報告を受けて登戸に向かうものの、忘れ物相談所が12時からオープンのため、マクドナルドでランボー怒りのやけ食いハッピーセット.

登戸から府中本町武蔵野線経由で東武東上線へ. 家を出発して3時間が経っても国分寺あたりで「自分はいったいなにをしているんだ」と思った. 結局、5時間かかって武蔵嵐山到着. トラブルがなければ2時間半で到着予定だったので途中池袋のカフェで時間をつぶそうと早めに家を出たのがよかったんだか悪かったんだか…

研修施設はそこから徒歩10分くらいの国立女性会館. まずこの施設がいろいろすごい. 女性の社会進出のために作られた国立施設!図書館にはフェミニズムの書籍ばかりある. だが利用者が少なく赤字のため来月閉鎖らしい. 実際に利用している人たちはフェミニズム運動とは関係なさそうな高齢者だっだり中学高校の部活の合宿施設. また施設内の庭園もとても自然豊かで素晴らしく、しかしこれが税金で運営されていて赤字で閉鎖というと手放しに喜べない事実. もう専業主婦が社会進出とか言っている昭和じゃないんだから、令和では時代錯誤.

チェックインでスマホを預ける. 合宿終了までスマホはつかえない. スマホ依存症には嬉しい.

合宿ではツインルームを申し込んだので、同じ部屋の人と開始まで話す. ツインルームの人に「学生さんかとおもった」といわれたおじさんです.

参加者の属性は、仏教が好きな人、スピリチュアルが好きな人、インフルエンサーの角由紀子さんの影響で好奇心で参加した人の3つに分類できる. わたしは仏教が好きな人.

夕方から瞑想合宿開始. 初日はオリエンテーション.

だいたい1日の流れは、朝と夜に勤行と瞑想の時間. 午前中に1コマ、午後に2コマの講義+瞑想実践. これは大学の授業のようだ. 石川先生は出家の比丘ではなく大学教員なので、さらにそう思った. ネットで瞑想合宿を調べるとゴエンカ式の1日10時間瞑想の情報ばかりがでてくるが、今回参加の瞑想合宿は講義のなかでは2時間ちょっとの瞑想時間なので思ったよりハードではない. むしろ足りない感じを受けたので自由時間に30分の隙間時間が確保できれば自主練の瞑想を追加で行った.


はじめの瞑想は、4-4-8のペース呼吸+カウンティングで3分瞑想.

次の瞑想はアーナパーナサティ・スッタStep1の鼻先一点集中瞑想. そして夕課の勤行の時間があって終了. ここまでは相模女子大で定期開催される瞑想会と同じ内容なので驚きはない. むしろ、普段の瞑想会では何度参加してもstep1しかないので「続きは瞑想合宿で」と言われている感じがして合宿参加したのだった.


最後に、食べる瞑想の紹介. これを毎回の食事で実践するように指導がある. 食べる瞑想自体は詳しく経典にあるわけではないので、気づきながら丁寧に食べることを指導された. 普段も食事中はスマホをみないで食べる瞑想のようなことはしていた. わたしは禅宗の五観の偈を食事の前に心の中で唱えて、実況中継瞑想で食べた. いつもよりもよく噛んでゆっくり食べるようにした.

そして食べる瞑想の実践ということで、ローストカカオが配布されたが、ここで恥をかいた. 10個とってくださいと聞こえたが遠慮して8つにしたら、まわりの人はみんな2つしかとってなかった. これでは盗みを働いたような不偸盗戒の破戒なので正直に8つとりましたと手をあげて報告した. マインドフルイーティングだとレーズン瞑想がよくつかわれるがそれのカカオ版. カカオは苦いので複雑な味なのだが、そこを味わう.

3/16: Day2

2日目は身体に関する組の考察(step1-4).

全身というのが、鼻先を身体全体に広げるような感じでと説明されたが、わたしはボディスキャン瞑想の要領でパーツごとにわけて行うことにした. こっちのほうが慣れているので.

Step4を行いながら、中学生のときにハマった自律訓練法を思い出した. 身体の力を静めるとは脱力しつつも意識ははっきりしている感覚. これは催眠近い感覚だ. ただ、そう思ったのはわたしのうしろに催眠を生業にしている人が坐っていたのでその影響を受けている気がした. うまくstep4が決まらないときは、後ろの人から「石になれ!」と催眠術をかけられているようなイメージをしたらうまくいった. 他の人の意見では、全身麻酔の感覚、金縛り、カタレプシー、幽体離脱の感覚?みたいな、いろんな体験もシェアされたのでおもしろい. わたしも幽体離脱したい…

しかし、全体を通して、このパートは催眠状態に落ちて全身脱力する感覚の印象をうけた. そもそも催眠状態と瞑想状態の違いはなんだろう?瞑想状態といっても範囲が広すぎるが、Step4までのカーヤサンカーラ静めるに限定してしまえば似ている. じゃあ麻酔状態は?まどろみ状態は?この論点はいずれ調べてみたい. また、石川先生の専門のひとつがトランスパーソナル心理学なので、仏教と心理学を横断するような意見交換ができるところはとてもおもしろい. 自律訓練法のようでした!と若干マニアックな発言でも、それにまつわる先生のエピソードトークを返してくれるのは嬉しい.

夕方には、慈悲の瞑想が紹介されて実施. 慈悲の瞑想はこの日だけだが、慈悲の瞑想は別の日のシェアリングの時間でもたびたび話題としてとりあげられた.

3/17: Day3

3日目は感受に関する組の考察(step5-8).

朝起きて、朝日をみて、一日が楽しみに感じた. こんな感覚は何年ぶりだろうか?久しくなかった感覚だ. 日常生活に戻ると苦しみばかりだ. もう何年も、抑圧されていたような感覚を覚えた. しかし、この閉鎖的な合宿環境で心穏やかになり瞑想がうまくいくことは当たり前. 本番は日常生活なので、この合宿は日常生活に備えてより一層瞑想スキルを身につけたいと考えた.

ピーティ=喜びの感覚について、誤解していたことに気づいた. 瞑想の文脈における喜びとは、離欲の喜びなので、日常生活のやったー!わーい!という喜びではない. さらに文脈にそえばチッタサンカーラが静まったあとに自ずから湧き上がる喜び. わたしは昨晩の寝るときにベッドに身体を沈める感覚を思い出した. 寝れるぞー!と身体を投げ出すときに感じる喜び、そのあとのスカ=安らぎ. 日常生活から瞑想状態にはいることはたしかに喜びであり、それだけで自ずから嬉しさが沸いて、やがて静まる.

また、day3の午前中の瞑想セッションで、今までで一番安定して坐れた身体感覚があったのも手応えを感じた. カーヤサンカーラを石になるような全身脱力のイメージでやったからかもしれない. また、背骨の感覚も工夫した. 最高新記録更新の喜びがあった.


午後の心行=チッタサンカーラの説明で、いろんな英訳が並んでいる中で、一番最後の"mental fabrication(作り話->妄想)“という言葉がとても興味深いと思った. わたしはユヴァルノアハラリさんがヴィパッサナー瞑想について語る動画をモチベとしたので、ハラリ氏のいう物語というのが、このstep7, 8の心行=物語の説明が心のプロセスという訳よりも気に入った.1

そのためこの物語という表現をさらに変えて、脳のデフォルトモードネットワークを感じながら息を吸おう、息を吐こうと意識をした. 結局、メンタルヘルス問題からマインドルネスに興味を持って瞑想にたどり着いたわたしにとって、反芻思考を鎮めるて日常生活を穏やかに生きることがひとつのゴールだった. という意味では、わたしにはstep7,8の習熟がゴールだった. 脳内ネガティブラジオは手順を踏むことによって鎮めることができる. 大きな手応えだ.

しかし、まだアーナパーナ瞑想は半分であるということが改めて驚きであり、ここから先なにが待っているのだろうという興味が沸く. たしかにstep8まででかつてはよかったかもしれないが、あれから数年の間に仏教に関する知識はそれなりに学んだ結果、中間ゴールの先を知りたいとも思うようになった. もう乗りかかった列車をここで途中下車するにはもったいない.

step4で身体感覚機能を鎮め、step8で物語生成機能を鎮め、なんだか脳内をハックしている気分になってきた. 自己とは脳の機能集合であり、input/processing/outputの連鎖であり、ひとつずつfunctionを停止していくことで、自分という概念を手順を踏んで解体する. 映画インセプションのようにどんどん深層心理に降りていく、しかも瞑想だけで!坐って呼吸しているだけで!というスリリングな感覚を覚えた.

瞑想をやりおえたあとの感覚は、お風呂上がりに似ている. なんだか今日はなんども風呂上りの男になった.

3/18: Day4

心に関する組の考察(step9-12).

この日くらいから、休憩時間によく三帰依文の言葉が耳から離れないような、いわゆるデュラン効果が現れて、休憩中も歌うように三帰依文が耳に響き続けた. 三帰依文については暗記した.

思考を言葉で分析しはじめようとすると、口の筋肉がこわばる気がして、その身体感覚に気づいて先に口の筋肉を緩めるようなTipsも発見した.


step9は、step8で鎮めた思考機能をあえて再び復活させるような感覚が、おもしろい. なぜならば、今まで禅宗の坐禅のやり方でやってきたので、あえて坐禅中に心の分析をするようなことがなかった気がした.

わたしの理解では心行の観察はショートストレスからくるような思考で、心の観察はもっと重い、なんどもループするような思考. これは催眠セラピーにも似ている気がした. 普段は向き合えないような心について、あえて瞑想状態に入ることで向き合うような. 石川先生が心理学が専門ということで、そういう先入観ももったのかもしれない. そして、こういう偏りのない心の分析こそ智慧を育てるような取り組みな気がした. どうも呼吸だけに集中するだけで智慧が生まれる気がしない. とくに、広大さがあるかどうかをチェックするのは大事だし、ここで脱線して慈悲瞑想にはいってもいい.


Step10はピーティをより強固にしたような喜び. 中二病のわたしは、ここでワンピースのルフィがカイドウとの戦いでギア5を発動したニカルフィに目覚めるような妄想をした. どうもルフィの姿が、悟りを開いた融通無碍の境地を現しているような妄想をしてしまう. わたしもアレになりたい. 2

step12までの瞑想. 1時間近くの瞑想で、結跏趺坐最長記録を更新したが、足がとても痛かった.

さらに夜の12step瞑想2回目で、畏敬の念のような感覚に包まれた. それは交響曲のフィナーレで到達するような、大空や大海原をみるような爽快感. 体験をシェアリングのときに語ったところ、それはスピリチュアルだとsomething greatとか呼ばれているものかもしれないが、giftとして受け取ってくださいとのこと. ただしそれは一時的なもので、それも無常ですとのこと. よい体験をした.

ピーティの離欲の喜びはミニマリストのモノを捨てたあとに湧き上がる喜び

ピーティの喜びは、ミニマリストのモノを捨てたあとに湧き上がる喜びにとても似ている.

Step5をしながら、かつてミニマリストを目指して自分の所持品を全部ゴミ袋に捨てたことを思い出した. そして、なにもなくなってしまったワンルームの床に大の字に寝そべってMBSRの書籍を買ってボディスキャンの練習をはじめたことを思い出した.

思い出のモノたちを捨てることは、はじめは結構しんどいのだが、だんだん楽しくなってきて、最後に部屋かスキッとすると、謎のワクワク感が立ち上がってくる. これがピーティの感覚に近い気がした.

ただし、現在ライフスタイルとして流行っているミニマリズムは、限りある時間とお金を合理化最適化し、残されたモノにより一層執着を強める方向に向かう点では、方向性が異なる.

そして、わたしも合理化最適化路線だったことに気がついた. モノの延長で、心の片付けも必要なことに気がついた. それはモノを捨てるように、心は抵抗するだろうが、だからこそ瞑想状態で心の抵抗を抑えながら、心随観でコツコツ取り組んでいくものかと思った.

瞑想をするとHSPになるがHSPの長所を生かすことを考える

はじめは心穏やかになるためにはじめたマインドフルネス瞑想が、気づいたらどんどん敏感になる結果日常生活が生きづらくなる. 瞑想をすればするほどに、心が荒れ果てていく問題. これをstep9で質問してみた.

石川先生もかなりのHSP気質. 瞑想でどんどん微細な感覚に気づけるようになる. しかし、HSPの感受性を生かす方向で考える. 一方で、坑うつ薬は、鈍感にするように作用する. 一時的にはいいかもしれないが、長期的にはどうだろうか.

敏感になる瞑想か鈍感になる坑うつ剤を選ぶかは選択の問題. いわばこの合宿はHSP養成合宿!

ここまで言いきってくれて、長い間抱えていたモヤモヤが晴れたので感動した.

3/19: Day5

法に関する組の考察(step13-16).

瞑想実践でついにアーナパーナサティ16stepを完走した!その感想は、足の痛みで死ぬかと思った. 足の痛みでニルバーナ. だいたい1時間くらいの瞑想. この合宿のひとつの目的は長く結跏趺坐をすることだったので、これはこれで目標達成なのでよい. 今までの最長は40分くらいだったので最長記録更新. ただ、感想か足の痛みしかなかったので、このあとは必要に応じて安楽坐もつかうことにした.

また、step13の無常ではstep1の鼻先呼吸の観察をしたが、今までで一番鼻先の感覚が鋭くなった. 呼吸をコントロールするのではなく、呼吸を観る感覚. こんな感じかな?と何度も試行錯誤しているが、より深く掴めた手応えはあった.

初期仏教は理屈と目的ありで段階的に自我境界を破壊していく

また、シェアリングの時間に、アヤワスカツアーに参加予定だったがツアーが中止になったので瞑想合宿に参加した人の質問が興味深かった. 「なんでアヤワスカから初期仏教にいったんですか?」という質問だったかな. ネット上では「ブッダ直伝瞑想法でアヤワスカ越え?!」3というキャッチフレーズがそこそこ一人歩きして、その真相を確かめに合宿に参加した人も多い気がした.

アヤワスカ体験でEgo Boundary(自我境界)が崩れることは多くの人が経験する. 自我の常識が、強制的に、体験的に、崩れる. ただ、シャーマニズムには理屈がない. 自我が崩壊して、神様と対話してラブアンドピース!それで次は?という感じ. 初期仏教は理屈ありで自我の壁を段階的に破壊する. アヤワスカ体験のような即効性はないがアーナパーナ瞑想のように手順を踏む. 自我を崩す目的も手順も、すべて理屈がある.

わたしはアヤワスカ体験はあまり興味はないものの、原体験的にはクラシック音楽の交響曲のフィナーレにおける法悦体験や、最近だとトランスミュージックが好きになってよくきいているので、トランス状態というキーワードでは興味がある. 石川先生がなぜシャーマニズムから初期仏教へ傾倒したモチベはずっと気になっていたので、この話はきけてよかった.

また、アーナパーナ瞑想にも部分的に含まれるが、自我の壁を落とすという目的で言えば、慈悲の瞑想は効果抜群という話もおもしろい. アーナパーナ瞑想と慈悲瞑想はうまい具合に組み合わせて日常の瞑想にも取り入れたい.

3/20: Day6

最終日. アーナパーナサティ100日チャレンジをおすすめされた. 挫折するまで挑戦したいと思った.

11時に合宿終了で解散. 建物の出口に向かう途中で、これから嵐山渓谷までハイキングする予定のおじさんについていくことにした. そこから2時間くらい山を歩きながら合宿の振り返りを話のネタに会話して、歩き疲れたあとに帰路についた.